五人目 上
「えーそれではーぁ今日もーぉ頑張ってーぇ行こうとーぉ思うんですけどーぉ」
妙に語尾を伸ばして喋る少年だか青年だかが、ジャングルの前に立っている。見渡す限りの草原が少年の背後には広がっていたが、少年の視線はジャングルに釘づけになっていた。
「なんか―・・・・・・こうもうっそうとしてると入りにくいというか何というか」
少年の目の前のジャングルは地面に直射日光があたらない程草木が生い茂っていて、つる植物などが怪しげにくねっている。葉擦れの音が森中から聞こえ、そびえ立つ樹木が圧し掛かってくるような圧迫感をかもし出す。
「つーかなんかこうマジで圧し掛かろうとしてません?」
レポーターは周囲の木に向かって言った。ガサッ
すると、葉擦れの音を響かせてレポーターの頭上の枝が動いた。
「み・・・みなさん、この森は一見生命あふるるジャングルで、木漏れ日が森の中に射しているのを見るとうっとりするほどですが・・・怖いですホラーです恐怖映画です」
聴衆は意外に思っていた。このイカレたレポーターも恐怖を覚える時があったのか・・・。
「そして・・・みなさん気付いているでしょうか、このジャングルからは葉擦れの音しかしないのです。鳥とか魔物とかのいそうな気配が皆無です。ゼロです。不気味です・・・」
あーやだな入りたくないなでも入んなくちゃいけないんだよなあーやだなというレポーターの心の声がせつせつと聞こえてくるような声色。
「大体今までの草原には魔物とかもいたのにこのジャングルには近寄りもしません。あー入りたくないうあっ!?」
レポーターが突然あげた声、ザザザ――ッという何かが引き摺られるような音、メキメキと木の軋む音。
聴衆は一斉に緊張した。一体レポーターはどこのジャングルにいるのか。レポーターに何が起こったのか。魔王の中でジャングルに棲む者といえば一人しかいないが、聴衆は決してその事を考えようとはしなかった。
一部を除いて。
「あーあ、あいつ捕まっちまったかな」
「リィリイエラの草木は人を喰うからね」
そう、レポーターはかの有名な人喰いジャングルに迷い込んでしまった。聴衆はそう思った。このジャングルは、入ろうとすると即座に草木が襲ってくるので近寄る者すらいない。
そのジャングルに入ってみた者は公式には存在しなかったが、動く草木を密売しようとした盗賊たちがいた。
あっという間に植物に絡めとられ悲鳴をあげながら森の奥へ運ばれていった盗賊たちは二度と帰ってくることはなかった。後日、ジャングルの奥から身も凍るような絶叫が幾つも聞こえてきたという。また、植物研究家の学者が植物を観察しようとして森に呑まれたが、この学者は腕に傷を負っただけで、ニコニコしながら帰ってきた。この学者が言うには、「お菓子なんだ。次は砂糖菓子がいいかな」と意味不明なことを言い、魔王はいたのかと聞くとニッコリ笑って答えなかったとか。
「いていていてててててなな何かか木のえ枝が絡みつつついてくるんでででですけどおおおいてててっ!つつつついでに運ばれてるよよよようですいてっ!噛むな!」木々の枝がレポーターに絡みつき、蔓草がレポーターをぐるぐる巻きにして森の奥へと運んでいく。
「さささっきコケたのはぶっとい蔓に足を引っ張られたかからのようででです、おおお俺としたことがが一生のの不覚」
激しく揺さぶられているかのような声。レポーターの声を圧する勢いで聞こえる枝のしなる音、五月蠅いくらいの葉擦れの音、正体不明の鳴き声。
不意にその音が止んだ。一瞬の空白のあと、ドサッという音。
聴衆はレポーターがどこかに落ちたのだということを理解する。
「いてて……咄嗟に受身とってなかったら骨折れてるぞ、くそ……あー今あのクソ忌々しい木に放り投げられました。あームカつく」
この時点になってもマイクを手放さなかったのか……と聴衆は呆れたが、これはレポーター根性ではなく単なる偶然である。レポーターはジャングルに入る前に胸ポケットにマイクを固定していたのだった。
レポーターは起き上がるとぱたぱたと服をはたいて木の葉を落とした。
木々は何事もなかったかのように柔らかな葉擦れの音を響かせている。レポーターをぐるぐる巻いていた蔓もするするとどこかへ戻っていった。
「……こうして見るとただの森なんですが、なんていうか……あてっ、なんか躓きました」
腐葉土とシダ植物の間に、レポーターが躓いた白い石が埋もれている。
「……白い、……どっかで見たことあるような……石です」
レポーターが沈黙する。
と、ポン、と手を打った。
「これ、ドクロですね」
ガチャン ドタッ という音が世界中のラジオの前で展開された。椅子を立ってラジオを食い入るように見つめる者、食後のデザートを口に入れたまま噛むのも忘れて目を瞠っている者、食後に洗おうとした食器を足元に落として割ってしまっていることにも気付かないで突っ立っている者。
全く動じていない者はラジオ聴衆者の中の1%にも満たなかった。
レポーターの落とされた場所はちょうど森の中心部で、一際巨大な樹があった。その木の前は草も少なく、木々も円を描くようにその場所を避けている。そして、その地面にはところどころに白いものが見えていた。
「あー、よく見たらあっちこっちに骨がありますねぇ。その割に腐臭がしませんが」
ホラーである。生き物のいない森の奥に埋まった大量の骨。
「あぁ、よく見たら人間と動物の骨がごっちゃになってます。魔物とかの骨もあるかもしれません」
ホラーである。魔物すらも逃げられない恐怖のジャングル。
「なんつーか、もうちょっとここが不気味なジャングルだったらいいんですけど、こうもイキイキとして健康そうな植物が生えてるとどーもね。あ、こっちの木についてるコレは血の痕ですかね?そういえばここの地面から血のニオイがしますね。何日か前のようです。ニオイだけで血が全然落ちてないのがちょっと変な気もしますが」
ホラーである。血のにおいの有無をさもフツウの事のごとく語るレポーター。
「まあそんなことはどうでもいいんです。魔王さんは何処でしょう。魔王さーん!どーこでーすかー!出てきてくださーい!」
聴衆は必死に祈った。恐ろしいジャングルからレポーターが早く出て行くことを。そして、このジャングルに棲むと言われる魔王が決して現れないようにと。
しかし、祈りは空しかった。
このレポーターが目的を遂げずに引き下がる事などあるわけがないのである。
ガササッ
レポーターの背後、大木の梢から、葉擦れとは違う音がした。聴衆はまるで自分がレポーターになったかのように身を竦ませた。失神する者もいた。
「アハハッ、お兄さん、だぁれ?」
鈴の鳴るような声。魔王の棲むジャングルには不似合いな子どもの声音だ。
「いやあ……こんなジャングルの中で子どもの声とか……ありえないですよね」
半信半疑の声を出して周りを見渡すレポーター。その視線が一点で止まる。
そこ――苔むした巨木の腕に、子どもは座っていた。
山吹色の髪。黄玉の瞳。日に透かした若葉のような色の服を着て、宝物を見つけたようなきらきらした表情でレポーターを見ている。
「お兄さんも、盗賊?悪い人?殺す人?そうなんだ。へえー。じゃ、殺していいんだよね?アハハ、みんなおいで!」
うきうきした様子で最後の言葉を紡いだ途端、木々がざわざわと枝葉を揺らし始めた。
「え?あのー、違いますよ?インタビューしに来ただけですよ?悪い人じゃありませ―――ん!?」
「ありません」のセリフを言っている間に何本もの蔓が襲ってくる。それら全てをかわしたレポーターだったが、足元の草むらから飛び出してきた粘着性の葉にひっつかれ吊り上げられてしまった。
「うわ……ねばねばして動けません。モウセンゴケって皆さん知ってますか?それの超デカイのに捕まりました。ってゆーか離して下さいよー!何すんですか!」
「あのさぁ、リィは楽しみなんだ。久しぶりの人間だもん。久しぶりに血が見られるんだよ!アハハッ、血だよ!みんな、久しぶりのごちそうだよー!」
「うわ、なんですかこの人人間喰うんですか。っていうかアレ?魔王さんですよね?」
「そうだよ。リィは魔王だよ。それにリィは人間食わないよ。食うのはみんなだもん」
ざわざわざわ……
周囲の植物が不穏な音を立てる。
「あのー、魔王突撃インタビュー!の者ですが、早速インタビュー開始していいですかー?」
「いいよー?第一部隊、いけぇ!」
「ぅえっ!?」
レポーターの頭上から葉が降ってくる。ナイフのように鋭利な刃と化して。吊り上げられて動けないレポーターは渾身の力で超巨大モウセンゴケごと身体を捻った。
ぶちぶちっ
ばきん
びっ
植物の組織が千切れ、折れる音。そして、レポーターの服が破れる音。
「……信じられません、聴衆の皆さん」
しばらくしてから聞こえたレポーターの声に、聴衆は止めていた息を一気に吐き出した。
「ナイフみたいに鋭い葉っぱが雨のように降ってきました。そこはやはり植物の葉っぱらしくひらひらといっぱい降ってくるんですが、頬っぺたとか掠るとスパッと切れます。ちょーコワイです」
「あー!お兄さんリィの草折ったぁ!怒っちゃうよ!あ、でも血が出てるからいいや」
レポーターはねばねばする草をくっつけたまま身体を捻ったので、巨大モウセンゴケはその拍子にボッキリ折れてしまっていた。レポーターは服が多少破けるのも構わずモウセンゴケから身体を引き剥がした。
「ああ、制服って高いのに……」
前にも同じことを聞いたような気がする。聴衆は首を捻った。
「あのー、とりあえずこの葉っぱ降らせるの止めて下さいよ。落ち着いてインタビューできないじゃないですか」
モウセンゴケのねばねばしていない部分をつかんで傘代わりにしているレポーター。それでも、ひらひらと予測不能な動きをする葉はレポーターの足元近くまで来る。
「やーだよっ。リィは血が大好きなんだ。真っ赤な真っ赤な血がね。降らせるのやめたら血が流れなくなっちゃうじゃん」
べーっと舌を出す魔王リィリイエラに、レポーターはハーと溜め息をついて言った。
「キャンディあげますから攻撃止めてくださいよ」
「キャンディ!?」
キラリと魔王の瞳が光った。
「みんな、やめ!お兄さんキャンディ持ってるの!?」
身を乗り出してレポーターを見つめる魔王。レポーターの言葉を待ちきれず大木の腕から飛び降りて走ってくる。
「まあ一応持ってますよ。欲しいなら大人しくインタビュー受けて下さい」
葉っぱが降ってこなくなったのを確認してからモウセンゴケを降ろすレポーター。
「うん!うん、受けるよ!キャンディは?」
子ども特有の希望に満ち溢れた目でレポーターを見上げる。
「どーゾ。一応みっつ持ってまスけどどれがいいですか?」
「全部!」
「ハイ、ドーゾ」
レポーターの声がなんだか白い。
ものすごく嬉しそうな表情でペロペロキャンディを舐める魔王。
植物がざわりとレポーターの足に巻きついた。
「魔王リィリイエラさん、略してリィに第一問。というかお願い。この足に絡みついた草を何とかして下さい」
「うん!みんな、やめ!」
さわさわさわ……
静かに草達が退いていく。
「じゃあ、改めていきますか。リィはなんで魔王になったんですかー?」
「リィがこの森作ったときに、天ちゃんが「魔王になれば?」って言ったから」
「テンチャン!?」
ぶふうと吹き出すレポーター。
「て、て、テ、天ちゃんて……天空城の魔王さんでぶふっ」
途中でまたもや吹き出す。余程ツボにはまったらしく、腹を抱えて盛大に笑う様子がマイクとラジオを介して聴衆に伝わる。
「うん、天ちゃんは天空城の魔王やってるよ。……どーしたの?」
「天ちゃん」と魔王リィリイエラが言った途端、おさまりかけていた笑いがぶり返す。「天ちゃん」に何か思い出でもあるのだろうか、その笑いは止まるところを知らない。
「し、死ぬ……」
腹を抱えながらひーひー言っているレポーター。つられたのか、魔王も笑い出す。普通ならすぐおさまってしまうような笑いの波でも、誰かが一緒に笑っていると大津波となって襲ってくる。もはや何が面白いのか分からない。
魔王もレポーターもなんだか分からないまましばらく笑い転げるのだった。
「何やってんだ、こいつら」
笑い声の炸裂するラジオを前にして火山の魔王は呆れるばかりだった。
「どっちも子どもだからね」
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