。。。

 




逢魔ヶ時。
それは、悪魔の嫌う陽が死んでいく刻。
悪魔の嗤う、昏迷の時間。



 

 

 

 

くすくす

 

くすくす

 

 


愉しそうな吐息が、小さな唇を掠めて世界を侵していた。

 

「いっけないんだーァ、ヒト殺してるーぅ」

 

 

金の髪の悪魔がくすくすとその外見に似合った幼い笑いを響かせると、それだけで空気が変質していく。

その金緑の瞳が喜悦を宿して見下ろす先。

夥しい量の血が広がるひび割れた石畳に、その手を血に濡らして傲然と立つ人影が一つ。

 

「何だぁ、てめえは」

 

銀色の毛波の間から覗く赤みがかった銀灰の瞳は常に獣の愉悦を孕み、低くゆっくりと紡ぎ出される声はさながら恫喝。

すらりと高い背に逞しくもないが華奢でもないしなやかな体躯。

黒いシャツに白銀の長髪が纏いつき、清冽な滝を作っている。

その姿は、綺麗な月夜に出会った白銀の狼を思わせ、また殺し殺され死んで殺す血腥い場において狂気を操り狂喜する血色の獣のようでもあり。

半分振り向いた、半身の状態のまま彼を睨みあげてくる凶悪な意思を宿した鈍器のような瞳を、玩具を見つけた童子のような悪意に満ちた無邪気な笑みで迎え、彼は口を開いた。

 

 






人間を殺したのは久しぶりだった。

以前殺した時は何故殺したんだったか。

なんだかよく覚えていないが今回と同じような下らない理由だった気がする。

白い髪はどうしたって目立つ。難癖つけてくる奴も多い。裏通りの近道は奴隷売り場や愛玩(ビスク)人形(ドール)を売っている場所もあるが、そういう所を歩いていると物を知らない金持ちが声をかけてくる。

『君、その白い髪は珍しいね。どうだい?私に飼われてみる気はないかな?』

素晴らしきカモどもの巣窟といっていい。そんな変態の声がかかったら、それだけでその日は遊んで暮らせる。代償としては、裏通りのさらに裏の影の隅に積まれる死体に新入りが加わる事だけだ。

もともと流れ者の多いこのご時世、野垂れ死ぬ奴が多い中死体が一つ二つ増えても誰も気にしない。ましてや表通りで死んだ奴まで持ち込まれてくる裏通り、家族の死体がないかと探しに来る女子供は運が悪ければ人買いにさらわれる。裏通りの中でも金持ちが好んで御用達する道は歩いていても表通りより安全なくらいだが、一つ道を外れただけで金持ち(カモ)を狙うごろつきどもに嬲り殺され、全てを奪われる。

天使やら悪魔やら魔物やらが人間のふりをして世の中を闊歩するようになってから、人々の光と闇とは遠ざかった。

以前は光と闇の境が曖昧で、世界は危ういながらも均衡を保っていた。光と闇が入り混じり、公の場を歩く者も裏の道を歩む者もかろうじて同じ場所に居られた。

それが、天使やら悪魔やら魔物やらという「力を持つもの」の登場によって均衡が破られたのだ。人々の心は荒み、治安は悪くなっていく一方だった。そして、そんな中でも秩序を作り良心を重んじて国家や都市を造るものが現れ、善き人々はそこへ集った。

こうしてくっきりとした「光」の存在が現れると同時に、もはや狂気としか呼べぬ闇もくっきりと現れた。こうして、光と闇とは別たれ遠ざかったのである。

 

 

くすくす

 

 

笑い声が聞こえた気がして、ルギル・トキは我に帰った。

 

 

くすくす

 

 

それが自分の背後から響くものだということに気付き、ゆっくりと振り返る。

 

 

 

 

 

 

「いっけないんだーァ、ヒト殺してるーぅ」

 

 

そこには、悪魔がいた。

 

 

蜂蜜色のくるくると巻いた金髪を肩に流して、金糸の縁取りのされた天鵞絨(ビロード)のマントを羽織り、チェック柄の半ズボンに絹のシャツ。

麗しく整った幼い白皙が甘ったるく微笑み、金緑の瞳が押さえきれない喜悦に妖しく光る。

とうに役目を終えて朽ちた街灯に腰かけ、細い足をこれ見よがしに組んで。

悪魔は確かに、そこに居た。

 

 

「何だぁ、てめえは」

 

わざわざ聞かなくても正体などわかっている。

この、一見良家の子弟に見える子供のかもし出す悪意のない邪気、悪意の満ちた無邪気とでもいうべき空気が、彼の存在を悪魔だと断定している。

 

「うん、あのねぇ、私の(しもべ)になってくれないかな?」

悪魔が綺麗なソプラノの声を上げると、周囲の空気が歓喜と恐怖の悲鳴を上げた。

悪魔の僕、それは力ある者への道。

悪魔の僕、それは緩慢な死への第一歩。

「ハッ」

しかし力求むる者なら誰しもが心奪われるだろうその言葉に、青年は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「嫌だね」

そのまま視線を外してさっさと立ち去ろうとする。さっと流れる白銀の髪にうっとりと見入りつつ、悪魔は続けた。

「君に断るという選択肢は有りはしないよ。断ったら通報するし」

「通報だぁ?特警が裏通りに来る訳ねぇだろぉが」

「残念。今日は特別なんだ」

突然に光が目を焼いて、ルギルは手を掲げて光を遮った。

「何だぁ?」

「殺人犯を発見!今から確保する!」

長靴の音がばらばらと響き、近付いてくる。

「おいおいおいおいおい」

逃げようと走り出す。すると進行方向にも特別警邏隊略して特警特有の長靴の音と、無数の灯り。

「冗談きついぜぇ」

足を速めて曲がり角を右へ。十字路を真っ直ぐ進もうと真ん中に躍り出ると左から縄が飛んできた。先が輪になったそれを急停止で避けると、右からも縄が飛んでくる。手で払い除けて左右を見ると、警邏隊がそれぞれ捕らえた連中を縛り上げて新たに見つけた獲物―――ルギルに向かって縄を投げているところだった。恐ろしいほどの精度でルギルの身体を絡めとりにくる縄を、払い除け掴んで投げ返し身を翻して避ける。しかし全てを避け切るのは不可能で、右手と首に一つずつ縄が食い込み、締め付ける。

「ぐぅ」

呻いて縄を引き千切り、右手の縄は引きずったまま路地を駆ける。これを引き離すには街の外に出るしかない。前に警棒を持った部隊が立ち塞がる。

「どけやァァァァァァア!」

右手が唸ってラリアットを食らわせ左足が骨も折れよとばかりの足払いをかけ突貫する。ついでに警棒を頂いて、薙ぎ払うという形容の相応しい勢いで振るう。時刻は夜、警邏隊の持つ灯りに照らされて、白銀の髪が踊る。赫い灰色の瞳がその隙間から周囲を睥睨し、舌なめずりをするように唇を舐る舌が獰猛に嗤う口に戻っていく。誰かが叫ぶ。

「ば・・・・・・化物・・・!」

さながら狂乱する獣のように疾駆する彼を、既に部隊の殆どが追っていた。

「第2隊、まわり込め!」「第五隊が殆ど全滅?なんて奴だ・・・」「奴は街の外に出るつもりだ!」「逃すな!」「第七隊を向かわせろ!」「奴は真っ直ぐ街の外を目指している!」

「何で俺ばっか追うんだぁ?」

ぼそっと漏らした呟きに、その場で薙ぎ倒した部隊の最後の一人、ルギルに吊り上げられた、まだ少年といっていい警邏が全く冷めない正義感に燃えて言った。

「貴族を殺しておいて言う言葉がそれか下衆め!」

「貴族じゃなけりゃいいのかよ」

「駄目だ!」

きっぱりと言い切る少年をまじまじと見て、

「変態を殺して何が悪ィんだよ」

「悪いに決まっているだろう!「お前は下衆だから殺しても悪くない」と言ってるようなものなんだぞ!」

「馬鹿かぁ?てめえ。俺みたいな悪党殺すのが悪い訳ねぇだろぉが。人殺しは人に殺されんのが常識だぜぇ」

歯を剥きだしにして小馬鹿にしたように笑って見せてから新たに来た部隊にぽいと放り投げる。

街の外はもうすぐそこで、ルギルは足を速めた。

「撃て!」

陣を整えていた射線が一斉に銃弾を吐き出す。しかし馬と並走できるのではという速度で駆け抜けるルギルにはなかなか当たらない。

「不味い、逃げられる!」

誰かの叫びが聞こえる。夜目にも目立つ白い髪が物凄い速さで遠のき、警邏たちが思わず舌打ちしかけたとき。

何かが砕ける嫌な音がした。

彼が街の外に出るのと同時に吹き飛ばされたのを見て、警邏隊は全ての動きを停止した。

その視線の先。

柔らかな巻き毛の金髪をふわりとなびかせて宙に浮く、金緑の瞳の悪魔。建物の壁にめり込むように激突したルギルを見て、秀麗な容貌をにたりと笑ませる。

「・・・・・・・て・・・め、え・・・・・嵌めやがったな・・・!」

がらがらと壁を崩しながら何とか身を起こしたルギルが吼える。軽やかな笑い声を残して悪魔が消えると、緊迫した表情で悪魔を睨んでいた警邏隊がじりじりとルギルに迫る。ぎりぎりと歯を食いしばって噛み付きそうな表情で悪魔を睨んでいたルギルもそれに気付き、身構える。

悪魔に吹き飛ばされ壁に叩きつけられたダメージは大きいのだろう、あれだけ暴れてまだ余りあった余裕がなくなっている。肩で息をしながら身体にかかる縄を払い除け振り下ろされる警棒を弾き返して再び街の外に出ようとしていたが、隙を突いてその胴体に縄が三本かかりバラバラの方向へ引っ張られると、苦鳴と共に動きが止まった。

「アッ・・・ぐぅ・・・・・・っ」

肋骨が折れて内臓を損傷している状態で胴体を締め上げられ、想像を絶する激痛が彼を襲ったのだろう。悪魔の攻撃は確実にルギルの力を削っていた。白い髪を乱して前のめりになるルギルに、警邏隊の勢いが増した。

腕は胴と一緒くたに縄で巻かれ、その身体を捕らえる縄の数は既に十本以上。それでも尚暴れるルギルに、銃が向けられる。

「撃てっ!」

結果としては、十数発の弾丸は僅か一,二発が当たったのみだった。大きく身体を回転させたルギルの縄を持っていた警邏たちが引っ張られた勢いで吹っ飛び、銃弾をもろに浴びたのだ。その器用さ、力の強さには舌を巻いたが、警邏隊総員でかかって一人の男に破れる訳にはいかない。例え一発でも当たった弾丸には麻酔効果がある。捕らえるのも時間の問題だった。動きの鈍ってきたルギルを取り囲む中から周囲に指示を飛ばしていた男が飛び出す。目敏く手練れと見て取ったルギルが一瞬紛れもない悦びを目に灯らせるが、身動きのままならない状態に歯噛みする。

「ぐっ・・・・・・・・ぁ」

鳩尾に拳を叩き込まれ、がくりと力を失ったルギルの体を支えた総隊長を囲んで歓声が上がった。

 

 









「総隊長、それでそいつはどうします?」

最後の大きな捕り物に成功した喜びが警邏たちを包んで足を浮き立たせる中、比較的冷静な警邏が総隊長に訊ねる。

「手錠つけて牢に収監。前捕まえたイカレ野郎がいたろ?そいつと一緒にぶち込んどけ。あー、あとモルヒネ呼んで麻酔かけとけ」

後始末に忙しなく駆け回る後方支援の警邏隊員たちにルギルを渡して周囲の浮かれる同僚達の中に入っていく。

「もうすぐ夜明けだな」

白み始めた東の空を見て呟くと、蛍光ピンク色の声と共に背中に軽い衝撃が奔った。

「隊長ォ〜!またアタシの出番なんですかァ〜?アタシもうイヤですよォ〜」

ハニーブロンドの髪を所々黄緑色に染めツインテールにした、イカレた頭が目に入る。その次に軍服を下から押し上げる豊満なバストが挑発的に突き出された。

「それにアタシの名前はアルヴィナであってモルヒネじゃありません〜だ。いくらアタシが《麻薬使い(ドラッグレディ)》の異名持ってる薬剤師だからって、流石にヒドイですよォ」

いささか極端なプロポーションをかっちりとした軍服に包んだ美女が、グロスを塗った唇を尖らせて立っていた。

「そんなこと言ったってお前モルヒネ大好きだろう」

「やだァ何言ってるんですかァ。アタシがモルヒネ使うのはイケメンだけですよォ」

「しかも口移し」

「魔女だな」

「魔女ですね」

「何ですかァ魔女って。てゆーかァ、最近イケメンいなくてちょっとウンザリなんですけどォ。今日なんか一斉粛正だっていうから駆り出されましたけど、ブ男に何人もキスしなけりゃならなかったんですよォ。その上隊長までヤク漬けのゴロツキにキスしろっていうんですかァ」

「口移しにしなけりゃいいことだろうが・・・・・まあ、今日はあれで最後だ。さっさと終わらせて来い」

木箱に凭れ掛らせた状態のルギルを顎で指し示して、美女の身体をそちらへ押しやる。

「え〜、キスはロマンですよォ・・・・・今度は何した奴なんですかァ?」

「貴族殺しと隊員の三分の一がしばらく復帰不能にされたな。まるで獣みたいな奴だったぞ。今回一番の大捕り物だった」

「えェ〜・・・そんな凶暴なヤツにキスするんですかァ・・・」

「だから口移しじゃなければいいだろう。ま、しかし白い髪が珍しい偉丈夫だ、ぞ・・・・と・・・・?」

「どうしたんですかァ?って・・・・・きゃ―――――ァ!!!!」

アルヴィナの黄色いハートマークの乱舞する声に、隊員の多くが振り向いた。そして固まっている総隊長の視線の先を見て、同じように視線が釘付けになる。

朝日の差し込む路地、目を閉じ無防備に木箱に凭れ掛るルギルは、薄暗い中に差し込んだ一条の光に照らされ一枚の完成された絵画のような美しさを見せていた。

神々しささえ漂わせる白銀の髪が光を透かし反射し、鼻梁高く目元涼しげに整った凛々しい顔を縁取っている。

これが先刻まで目をぎらつかせ獣のように暴れていた人物とは思えず、彼を見た隊員たちは息を呑む。

「隊長―ォ、こォんなイケメンなら先に言って下さいよーォ、全然偉丈夫どころかちょーキレイじゃないですかァ」

その近くに膝をついて、その端正な顔をじっくりとっくりうっとり眺めるアルヴィナ。その表情を見て、殆どの隊員は(奴が喰われる・・・・・!)と思ったという。

「鍛えてあるけど体だってムキムキマッチョじゃないしーィ、どこがケダモノだって言うんですかーァ」

遠慮無しにルギルの身体をべたべた触る美女に、総隊長が妙に平坦な声音を投げる。

「むしろ俺にはそいつの唇を奪おうとしているお前がケダモノに見える」

「やだーァ、仕事ですしィ」

ひらひらと手を振って誤魔化しにもなっていない言葉を吐いた後、ルギルの顎を持ち上げゆっくりと口付ける。

アルヴィナ曰くの「ブ男」では一瞬で終わるそれが長く続いているところを見ると、ルギルはいたく気に入られたらしかった。それどころかどんどん深くなっていく口付けに、顔を赤くして目をそらす者が増えていく。

「・・・・・・・・・・・・・・・総隊長」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ?」

「・・・もう五分になりますが」

「・・・・・・・・。・・・モルヒネ、お楽しみはそろそろ終わらせろ」

「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜。もう、分かりましたよゥ」

何だか気力を根こそぎ奪われた隊員たちは、同じくてきぱきとしてはいるが覇気のない声で指示を飛ばす総隊長に従って動き始めたのだった。

 


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