高速道路・お喋りな刀と人外な女性








一振りの刀がありました。

いえ、刀じゃないかもしれません。

でも、自分で刀だと言い張っていました。

刀には持ち主がいました。



若い女性でした。





しゃ――――――
しゃ――――――
しゃ――――――
しゃ――――――



 自転車がアスファルトの路面を噛み、チェーンが規則的にタイヤを回す中、ペダルを踏む足は見るも無残に汚れてボロボロになっていました。
 しかし、ボロボロでしたがその靴は革靴で、ボロボロでしたがそのズボンはスーツでした。

鹿角(かすみ)
「ん?」
「どこまで行くんだって?」
「知り合いのところまで」
「・・・・・・・・・。何キロ?」

 前の籠に入れたリュックからの問いに、鹿角と呼ばれた女性はハスキーな声で応えました。

「ざっと八十キロか」
「・・・・・・自転車で行くの?」
「何か問題があるのか?行かなければご飯にありつけないぞ」

 鹿角はスレンダーな肢体の凛とした美人でした。化粧っ気のない肌は滑らかできめが細かく、顎の線で適当に切りそろえた髪は墨を流したように真っ黒でした。

「・・・・・いや、うん、思うんだけどさ」

 どこか気弱な響きをもって、リュックから声がします。

「どうした、水薙(みなぎ)

 対して鹿角はいたって普通の声音で、普通に聞き返しました。自転車をこいでいるせいか多少呼吸が深くなっていますが、それだけです。

「高速道路で自転車で自動車抜かすの、やめない?」

 物凄い速さで走っていたはずの大型トラックが、あっという間に背後に消えていきました。




「何だ、お祖父様。餞別とは」
「我が鹿角家に伝わる秘宝よ。お前がホオームレスになるなどと言うのならば、餞別をと思うてな」
「お祖父様、ホオームレスではなくホームレスだ。それに、餞別というなら金が欲しい」

 しかし、お祖父さんは孫の言葉をきっぱり無視して続けます。

「全く、若い身空でホオームレスなどと・・・・・若い女の一人歩きは危ないと言うに」

 そうしてお祖父さんが持ち出してきたのは長細い包みでした。

「お祖父様、これは・・・・・?」

 古びた包みでした。朱色の絹で包まれたそれは一メートルほどの長さで、そう、調度日本刀のような―――。

「餞別じゃ」
「お祖父様・・・」

 満足そうに頷くお祖父さんの肩にそっと手を置きます。

「押し付けましたね?」

 沈黙がその場を支配しました。お祖父さんは肩に置かれた手をそっと握り返すと、ぬけぬけと言いました。

「護身用にいいじゃろ?」
「日本刀なんかどうしろって言うんです。大体これこのあいだ質屋に持って行こうかって話してませんでした?」
「先祖伝来の名刀じゃ、質屋に売り払われるよりゃお前に使われる方がよかろうて」
「名刀どころかこの刀については妙な伝説しか聞いていないんですが。喋っただの、元は刀じゃなくて剣だっただの、生きてるだの。」
「しかし手入れなどせんでも刃こぼれ一つせんし錆びもせんかったぞ。名刀じゃの」
「それはただ単にお祖父様が手入れをサボってただけでは」
「それは餞別じゃ。有り難く受け取るがよかろうよ」

 ほっほっほとどこぞの仙人のように笑うお祖父さんは、孫にまんまと妙な刀を押し付け、上機嫌で孫を送り出したのでした。
 一方、送り出された孫は始末に困って路上を歩いていました。

「何がほっほっほなんだか・・・・・・。仕方ない、売り払うか」

 朱色の細長い包みを諦念と共に見やって呟いた一言に、返る言葉がありました。

「いや、売っ払うのは流石に止めてくんない?」






「しかしさ、刀の苦労というものを少しは鹿角にも分かってもらいたいよ。折角面白い持ち主に会えたと思ったらいきなりホームレスになるっていうし。まあ昔は旅人っていうとホームレスだったから別に違和感は無いけど」

 高速を走る自転車に乗って、水薙と呼ばれた刀と鹿角と呼ばれた女性が会話していました。

「そうだろう?別に現代の旅人になってもいいんじゃないかと思ってこうしているんだ、昔はホームレスなんてたくさん居たっていうのに現代の人々の心の狭さよ」
「いや、心の狭さとは関係ないと思う」

 車をも凌駕する速さで高速道路を走る自転車は、風の抵抗も物凄いはずですが、スレンダーな肢体はびくともせずにペダルをこいでいます。しかし、流石に顔に風の抵抗を受けると辛いのか、鹿角はバイクのヘルメットをかぶっていました。
 バイクのヘルメットをかぶってスーツを着た細身の人間が自転車を猛スピードでこいでいるというのは、道行く車のドライバーたちにとっては我が目を疑う光景でしたが、本人は全く気にせずに自転車をこいでいました。

「しかし、ヘルメットはかさばって仕方ないな。今度ゴーグルを買うか」
「顔が隠れるようなのがいいかも」
「?何故だ?」
「だってさあ、」

 と、ここで料金所が近付き、鹿角はスピードを落として止まりました。道路に黒いタイヤの跡が付き、タイヤからは焦げ臭い臭いが上がっているのは、もうご愛嬌となっていました。

「全く面倒だな。いちいちスピード落とさなくてはならんし」

 無人料金所できちんと料金を払うと、近くに小さなインターパークがあり、暴走族がたむろしていました。そして偶然にも、こちらを見ていた茶髪の青年と目が合ってしまいました。

「どうしたものか。目が合った」
「逃げれば?」
「いや、逃げるのも何か変だ」

 何が変なのさ、とぼやく刀をリュックと一緒に背負って、鹿角はインターパークに入っていきました。






「・・・・・・おかしいぞ。何事もなかった」

 インターパークのコンビニで買ったゆで卵をもぐもぐと食べながら鹿角は独りごちました。たむろしていた若者達のそばを通っていったのに全く声をかけられずに好物のゆで卵を買えたことに、鹿角は驚いていました。
おかげで予定外の出費だ、美味しかったけどと呟いて自転車に跨ります。数日前にゴミ捨て場に行って拾ってきた自転車でしたが、なかなか具合がよく、愛機にしようかと真剣に悩んでいる自転車です。

「おい」
「・・・・・・・・・・・・・」

 鹿角は声をかけられて固まりました。彼女の刀である水薙にはそのとき彼女の中に現れた葛藤の嵐が特に分かりたくもありませんでしたが分かりました。

曰く、「何故ゆで卵を買う前に声をかけてくれなかったのか全く二度手間というか損した気分だゆで卵を買ったからには声をかけないのが必定というものだろうしかしゆで卵は美味かったからまあいいか」です。


「何か?」

 一瞬の膨大な葛藤の後普通に応対する事にしたらしい鹿角はいたって普通に振り向きました。コンビニからは出ていたので、既にヘルメットを着用しています。

「てめえが通り魔かぁ?」

 にやにやと嫌な笑いを浮かべる若者たちに聞かれて、鹿角は目が点になりました。絡まれるとは予想していたものの、いきなり「通り魔」呼ばわりは予想外だったようです。

「いや・・・・・・違うと思うが」
「フカシこいてんじゃねーよ」

 最初に尋ねてきた若者の隣にいた鼻ピアスの少年が自分ではめいいっぱい脅してるつもりな顔で睨んできます。背中で水薙が小さく吹き出すのが聞こえました。

「・・・・・・・・・・」

 否定するなら別にわざわざ尋ねなくとも良かろうに、と鹿角が心中に呟いている間に、若者達は口々に言葉を重ねます。

「ボロボロのスーツ着た女が日本刀振り回して暴れてるって噂が流れてんだ」「おまけにぶつぶつ独り言ばっか言ってる気味悪い奴だって聞いたぜ?」「通り魔にでも遭ったと思えとか言い残していくとか」「出遭った族を根こそぎぶっ殺してくとかよ?」

「いや、別に根こそぎではないし殺してもいないが。多分」
「正直に言っちゃ終わりだよ鹿角・・・・」

 馬鹿正直に答える鹿角に背負った水薙からの弱々しい突っ込みが入ります。

「こら、水薙。人前で喋るなと言っただろう?私が頭のおかしい人間だと思われるかもしれないじゃないか」
「もう既に思われてるから構わないと思うんだけど」

 一人と一振りが会話をしていると、あからさまに引いた様子で若者達の一人が声を上げます。

「腹話術かなんかか・・・・・・?気味わりい」

 薄気味の悪そうな視線を鹿角に向けます。対して鹿角はそれにも律儀に答えます。

「いや、これは別に腹話術とかそういうものでは・・・・・・」

「ンなもんどうだっていいんだよ!こっち連れて来い!」「逃げようったって無駄だからな」「あ?頭おかしいんデスカ?バカなんですか?」「来なかったらこの場でやっちまうぞ?」「さっさと来いやコラ!」

 口々に罵声を投げつける若者達をヘルメットの奥の瞳で一瞥し、鹿角は溜め息をついて若者達についていきました。






「さぁーて、んじゃこっちでちょっと聞きたいことがあ」「何すんのよ!」

 自分達の優位を確信しているのか余裕な声をあげて関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアを開けると、かん高い女声が飛び出してきました。セリフを途中で遮られた茶髪の若者はあからさまにムッとした顔でそちらを睨みます。
 ドアの中は、なんと言えばいいのか、いわゆる真っ最中でした。
 若い女性と若い男性が取っ組み合っていて、女性の服は半脱げ、男性は顔を引っ掛かれて鼻血を出しています。頬に赤い手形も見えました。
痴話喧嘩、という類ではないように見受けられます。ドアを開けた若者は突然の濡れ場に出鼻をくじかれたらしく、仲間達と無意味な視線を交し合っています。

「あー・・・・失礼した。失礼ついでに尋ねたいのだが」

 何とも気まずい沈黙が場を支配しようかという時に、鹿角がそれを阻止しました。特に意味もなくその場にいた全員が鹿角に注目し、鹿角は声に躊躇いを少し滲ませて続けました。

「その、それは双方の合意が得られてからなされる行為だと思うのだが・・・・・そちらの女の子が嫌がっているように見えるのは何かのプレイなのか?」
「鹿角は正直だねー」

 ついでに言うと上に馬鹿がつくよね、と水薙が暢気にコメントを言います。鹿角の背中、細長い棒から聞こえた声に全員がぎょっとしたように鹿角を見ました。それが腹話術でないのはもう明らかで、「なんだこいつ」と不可解なものを見る視線で貫かれて、鹿角は困ったように首を傾げました。

「もういい、お前らとっとと出て行け!」

 鼻血を出して女性に掴みかかっていた変態が喚きました。若者達は鹿角から視線を外して鼻を鳴らします。

「うぜえよオッサン、こんなところでサカってんじゃねえよ」

 矛先が鹿角から変態男に移ったようで、変態の腹を蹴り上げて邪魔な『物』のようにそこらに転がします。変態は呻いて起き上がろうとしますが、手加減を知らない若者が拾った角材を笑いながら振り下ろすと、気絶したのか動かなくなりました。
 若者達は鹿角に崩されていたペースが回復してきたのか、鹿角をドアの中に押しやり、閉めて鍵をかけます。にやにやといやらしい笑いを顔にうかべ、女性と、その隣に立つ鹿角を、欲望しか含まれていない目つきで見やりました。ガチャリ、という鍵の掛かる音さえもが彼らの嗜虐心を煽り立てます。
 しかし、鍵の掛かる音、それが試合開始の合図に他ならなかったと、気付けた者はその場にはいませんでした。




――――――――――――――ィンッ




 彼女の、姿も、風切り音も。全ては遅れて聞こえました。
 若者の一人がにやにや笑いを顔に浮かべたまま、ドウと倒れ伏します。攻撃を受ける瞬間すら彼らには見えませんでした。ヒュー、と銀の刀身から口笛のような音がしました。

「やっさしー。やっぱ殺さないんだ」

 朱色の柄に昏い金色の鍔。僅かに反り返った銀の刀身に光が反射します。

「今の世の中、そうそう人なんて殺せないよ。殺すつもりもない。私に他人の人生を奪う権利はない」

 暗灰色のヘルメットの奥、鹿角がどんな表情をしているのかは誰にもわかりません。

「権利とかなんとか、なくたってヒトはヒトを殺すのにさあ。鹿角は哲学的だよね」

 いつの間に抜いたのか、鋭く美しい刀を右手にぶら下げて、鹿角は凛と立っていました。

「さて、と。」

 ちゃきり、と鍔を鳴らして、鹿角は刀を構えます。




「流水が如く――――――――――」
 そして猫のようにしなやかに、
「―――――――――薙がそうか」
 羽のように軽やかに、水薙を振るいました。




 鹿角の動きは圧倒的でした。じっと見つめていると舞踊を躍っているようにしか見えないのに、実際にはその姿が霞んで見えるほど速く、また軽やかに立ち回ります。
 傍から見ればそれは舞台で流麗に舞う鹿角に、男たちが灯りに惹かれる虫のように突っ込んでいくようでした。

「凄い・・・」

 その姿に釘付けになった女性の小さな小さな声に、最後の一人を地に沈めた鹿角は水薙を手にしたまま振り向きました。瞬間女性がびくりと身を竦めたのを見て、ヘルメットの中で苦笑しながら水薙を鞘に収めます。

「早くここを去った方がいい。彼らが目を覚ます」

 言って、動きの邪魔になるため放って置いたリュックを背負います。そのまま女性に背を向け・・・たところで鹿角を軽い衝撃が襲いました。見ると、女性がなんとも決意に満ち溢れた顔で鹿角を見上げています。
 鹿角は何だか嫌な予感が頭を過っていった気がしました。
 女性がピンクのグロスを塗った唇を開きました。飛び出した、言葉は。


「あたし、惚れました!」


「は」
「あたし、貴女に惚れました!そこらの男よりずっとカッコいいし、ストイックだし、優しいし、強いし、もう理想なんです!今までヘタレな男にしか当たった事なかったけど、それはきっと神様があたしを貴女に出会わせるために仕組んだ事だったんです!あたし、あたし貴女のためなら百合の道を歩んでもい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ひいいいいいいいいい。鹿角は心中で色気のカケラもない悲鳴をあげました。

「気絶させてどうすんのさ、鹿角」
「いや・・・・・・・どうしよう」

 ものすごく熱烈な視線と共に抱きつかれ、愛の言葉をまくし立てられ、思わず首の後ろを水薙の柄尻で一撃してしまった鹿角は、なんかもう「どうしようの極地」とでも言うべき場所に立たされていました。

「とりあえずこの場に置いておく訳にもいかないしな・・・・・・・」

 弱りきった声で呟きながら女性を抱えて、部屋から出ると――――――――――――そこは、赤い警告灯とパンダの車と万国共通の正義の味方で溢れかえっていました。






しゃ――――――――――――――――――
しゃ――――――――――――――――――
しゃ――――――――――――――――――
しゃ――――――――――――――――――



『そこの日本刀背負った人!停まりなさい!君の自転車の出しているスピードは法定速度を大幅に逸脱している!どうしても停まれないなら刃物を置いて去りなさい!』

 拡声器で叫ばれた言葉に、暗灰色のヘルメットをかぶってスーツを着た女性が叫びました。

「自転車が車道を走っちゃいけないという法律はない筈だぞっ!」
「鹿角〜。突っ込みどころ違うと思う」

 天気のいいお日様の元気なある日、とある県のとある高速道路を銀色の自転車が走っています。
 自転車に乗っている人物はその線の細さから女性的な感じがしていて、しかしなぜかスーツを着ていました。頭には暗灰色のヘルメットをかぶっていて、その顔は窺い知れません。靴はボロボロの革靴で、ズボンも着古した様に裾が綻んでいました。
 そしてその人物は背負ったリュックの口に細長い包みを刺していました。それは朱絹で包まれたもので、僅かに反り返った形状をしていました。
 そしてその人物の後方、ものすごい勢いで風景が通り過ぎてゆく中に、一つだけ変わらずに付いてきているものがありました。

「最近の警察は優秀だな!私の自転車に付いて来られるのはスピード狂だけかと思ったぞ!」
「あー、前に遭った男の子ね。でも、あのパトカーの運転手さんもスピード狂なんじゃない?もんのすっごく嬉しそうな顔してるよ。目の輝きが凄いよ」

 もはや人間なのかと問いたくなるほどの速度で自転車をこぐ鹿角の後方、一台のパトカーが風を切りながら高速を突っ走っています。
 ハンドルを握っているのは異様に輝く目をした警察官で、助手席に座った同僚はその速度にがちがちに身を強張らせています。

「可哀相に・・・・・・」
「何だ、何か言ったか水薙?」
「いや?別に何も?それより、警察はああ言ってるけど置いてかないでね。」
「水薙を置いて行くわけないだろう。置いていくくらいなら売り払うよ」
「最後の一言は言わないで欲しかったな・・・・・・」





 のちに「日本刀を背負って高速道路をひた走るスーツの怪人」という都市伝説が日本各地に誕生するが、その影には常に「ゆで卵ばかりを買い漁る美人の腹話術師」が存在したという。

 

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